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めぐみ野志津川湾産生かき最新状況

2012年8月7日(火曜日)

震災を経て、今年の秋2年ぶりの復活を目指すめぐみ野かきですが、現在の状況をお知らせします。

まずは震災から1年4ヶ月を過ぎた、南三陸町の風景から。

 

いまだに減らない瓦礫の山。以前よりも更地に整地された箇所は増えましたが、まだ解体中の建物も多く残っています。震災の傷跡はまだまだ癒えていない状況です。海岸通では炎天下の中、ボランテイアの方々が瓦礫類の撤去・掃除作業を行っていました。

 

 

漁港周辺も1メートル以上地盤沈下しています。埋め立て作業も進んでいないので、満潮時は船が着けられません。漁港の整備もまだまだ遅れています。

 

 

袖浜の旧かき剥き場(津波で全壊で使用不能)脇。青いコンテナはメンバーの皆さんから頂いた募金で購入して生産者に使ってもらっています。文字が小さくてわからないでしょうが、「贈みやぎ生協 志津川」と書いてあります。

 

 

船を出してもらい海に出ました。快晴でさわやかな海風に吹かれながら、養殖漁場に到着。浮かんでいるのがかきの「いかだ」です。このブイの下にロープにくくりつけられたかきの稚貝が海底に向かって吊るされています。今養殖しているいかだは約130台。震災前は400台ほどの規模でしたから、まだ3分の1程度にしか回復できていません。

 

 

先ほどの「いかだ」にくくりつけられているロープを引き上げればかきが・・・・・・・・・と思いきやまわりにびっしりと黒い貝がこびりついています。なんとムール貝だそうです。同じえさを好むそうなので、かき漁師にとっては邪魔者でしかありません。

 

 

船の上でかきを剥いたところ。昨年11月に見たときよりも更に更に大きく成長!!震災前だったら二年以上もかかる大きさに1年で成長しています。震災前よりいかだの量が少なくなり、密埴でなくなったこと、津波で海の底がかき回され、栄養分が満遍なく海中に広がっていること、などがこの成長の早さに現れています。貝のふちまで身がはちきれんばかりにあふれ、ぷるんぷるんのかきに仕上がっています。

あとは秋の水揚げを待つばかり。ご覧のように、今年の2月あたりからでも十分売り物になる大きさだったわけですが、肝心のかき剥き場の建設がずれ込み、昨シーズンの販売はかないませんでした。ようやく9月28日を目処にかき剥き場が完成するそうです。今シーズンは2年ぶりの「復興めぐみ野志津川湾産生かき」をようやくお届けできそうです。しかもかなり大粒です。楽しみに待っていてください。生産者の方も、「ぜひ、支援していただいたみやぎ生協のメンバーさんに何が何でもお届けしたい、いの一番に食べていただきたい」という思いで出荷を心待ちにしています。

 

 

さいごにおまけです。これは養殖銀鮭のいけすです。今シーズンはほぼ終了しましたが、志津川湾産のめぐみ野養殖銀鮭も合わせてよろしくお願いいたします。


鳴子上原牛乳 搾乳風景

2012年6月26日(火曜日)

みのりです。今回はめぐみ野牛乳のDVDを作成することになり、取材に同行しました。この日は土曜日でしたが、生産者は土曜も日曜も無く、毎日朝7時前から搾乳を行っています。搾乳の時間に合わせてお邪魔しました。

 

集合場所の鳴子上原酪農組合の集会所的なところにある牛の銅像。

 

鳴子上原地区は戦後まもなく開拓された酪農地帯です。山間の地域ですから、気温が低く穀物や野菜の栽培は適しません。一方で空気は清浄で岩山から湧き出る水を飼育に利用できる恵まれた自然は、乳牛の飼育環境としては申し分ありません。早朝ということもあり、非常にさわやかな空気が立ち込めていました。

畜魂碑と拓魂碑。開拓者の魂と乳牛への鎮魂の思いを込めて建てられています。

集会所に飾られていました。上が畜産委員会からの寄せ書き。20日に産地見学に来る予定だったそうですが、台風で中止になったとのこと。下は先日受賞しました平成23年度農林水産省環境保全農業コンクール優秀賞の賞状と盾。生協とのタオル一本運動の取り組みなども受賞理由に入っています。

めぐみ野牛乳の生産者の千葉さん宅にお邪魔しました。

牛舎の中の風景。今から搾乳に入ります。

朝ご飯の途中でしょうか。とはいっても牛は一日中もぐもぐしていますが。

千葉さんが一頭一頭、乳房を丁寧にタオルで拭いています。乳房は1頭に4つずつ付いています。搾乳は朝夕2回。写真ではわかりづらいかな?下の写真は搾乳機で絞っている状態です。

 

こちらは奥様のご様子。毎日こんなにタオルは使われているんですねえ。何個あっても足りません。タオル1本運動に是非ご協力を。

搾乳した原乳はパイプを通ってこちらのタンクへ集められます。徹底した衛生管理で鳴子上原の原乳の生菌数は抑えられています。(県内トップクラスの品質)

作業は延々と続きます。20頭以上いましたので、毎朝2時間以上かけて搾乳しています。

こちらは生産者の千葉さんではありませんが、取材に同行していただいた組合長の片倉さんです。片倉さんは搾乳しなくていいのと聞いたら、奥様と息子さんが作業をしてくれているとのこと。後継者もしっかり育っていて安心です。

 

ただ今、めぐみ野牛乳の供給状況が思わしくありません。生産者・産地が限定されていて、飼育方法もはっきりしている安全・安心でおいしい牛乳です。もうすぐ売り場でおすすめのDVDを流しますので、是非めぐみ野牛乳をご利用下さい。生産者は皆さんにおいしい牛乳を飲んでもらうために、毎日頑張っています!!


角田丸森牛乳産地便り

2011年11月17日(木曜日)

ひさしぶりの更新となりました。みのりです。産直推進本部長交代に伴うあいさつ回りのお供をしておりました。

 

角田丸森牛乳生産者の渡辺博さん宅にお邪魔しました。

震災の影響がまだ残りますが・・・・・おおむね牛舎のほうは復旧しております。

震災後、ようやく落ち着き始め現在は約100頭を飼育中。(乳搾り用で60頭前後、種付け・子牛その他合わせて100頭前後)

えさのデントコーン。一日500キロ消費するそうな。これと牧草が主なえさになります。

角田丸森牛乳の特徴はこの放牧です。普通の乳牛は小屋に閉じこもりっぱなしであまり運動していません。渡辺さんの話によると放牧したほうが乳量(乳の出)は悪くなるそうです。運動すると当然カロリー消費が高くなり、その分乳に回る分が減るようです。それでも、牛のストレスが少ない放牧での育て方を続けています。

簡易測定器で放射線量を計測しましたが全然問題ないレベル。放牧させていても問題ありません。えさや堆肥、牧草・いなわらも汚染はされていませんでした。

風評被害というか、なんというか、県内産の牛乳は販売量が減っています。逆に北海道産や他県産の牛乳は売れているようですが。県内産の牛乳は県の検査でも安全でした。めぐみ野牛乳は製品検査を毎月行っており、安全性を確認しています。ぜひ安心して県産牛乳を利用しましょう。


志津川めぐみ野かき 現地報告(1)

2011年10月31日(月曜日)


みのりです。

10月29日(土)は幸町店で大「めぐみの市」が開催されていましたが、そちらはげんさんにおまかせして、水産部門の統括・商務とともにめぐみ野かきの産地の志津川袖浜の現地状況を視察してきました。

大震災から7ヶ月経ちましたが、沿岸部は復興どころか復旧もままならない状況。現地へ向かう途中の光景。南三陸町役場付近はまだがれき処理に追われていました。

南三陸町志津川、袖浜かき処理場。めぐみ野かきの袖浜の生産者は41名。養殖銀鮭も津波で流され、かきも稚貝も流され、資材も流され、本当にゼロからの再出発となっています。そんな中、県外の生協からのボランテイア、またみやぎ生協からのボランテイアなどの支援により、今年の6月に種がきの仕込みを行い、年明けの出荷を目指していました。今回はその養殖漁場を視察し、生育状況を確かめてきました。

袖浜に着いたら、別の一陣が。共同購入部のボランテイア軍団が養殖いかだのおもり作りの支援に来ていました。本当にご苦労様です。土嚢袋に60キロの砂利を詰めていきます。きゅうリボランテイア以上にハードな作業ですね。おもりはまだまだ必要です。

志津川かき部会長の遠藤さんです。「大震災後、皆さんの支援もあり、かきの養殖を再開することにして6~7月に皆で集まってかきの種付けの作業を行った。みんなで集まって作業することによって、みんなの顔に笑顔・笑いが生まれてきた。6月に種付けしたかきの量は例年の10%程度の量ですが、来年の1月中旬過ぎから出荷できれば良いと思っています。」と語ってくださいました。

津波に流されず、残った船。

海は予想以上にきれいでした。海底のがれきはほぼ処理されています。

かき養殖の漁場に向かう途中の光景。ボートの人たちはわかめの養殖作業を行っています。

さあ、いよいよ6月に種付けした、めぐみ野かきの漁場に着きました。生育状況・出来栄えはいかほどに。長くなったので、次回に続く。

 


産地研修(石巻めぐみ野きゅうり復興編)

2011年10月17日(月曜日)

みのりです。

田尻の産地研修の後で石巻のめぐみ野きゅうり生産者のところに寄りました。

震災および津波の影響により甚大な被害を蒙った地域ですが、いまだ被災の爪痕は回復しておらず、復興といえる状況までには程遠い状態です。

石巻のめぐみ野きゅうり生産者は6軒いらっしゃいましたが、うち1軒が大震災後の津波に巻き込まれご家族3名が犠牲になられてしまいました。(謹んでお悔やみ申し上げます。)残り5軒も津波の影響を受け、ハウスの被害が激しく、生産再開がままならない状況です。

そんな中、いち早く秋作からの出荷の目処が立った山田さんのハウスにお邪魔しました。石巻市の門脇地区にありますが、この辺は1~2mの津波が押し寄せ、ハウスは全壊までいきませんでしたが骨組みが壊れ、海水・瓦礫がハウス内に流れ込み、水平だったハウス内の畑も40cmほどの傾斜がつきへドロ・瓦礫が積もってしまいました。

山田さんご夫妻にお話を伺いました。(ほとんど奥さんから聞いた話になりますが。)

「震災後は放心状態で何も考えることができなかった。ハウスの状況を見て、自分はもう駄目だな、と思っていたが、お父さんはすぐ生産を再開すると言って、復旧活動を始めた。自分はもう無理だと思っていたが、お父さんの強い決意に引っ張られてただついていっただけ。」

「ハウス内はもうめちゃくちゃな状態だったけど、奇跡的なことに機械が動いたのが幸いだった。トラクター、ユンボを使ってヘドロ、瓦礫を運んでハウス内を整理した。流れ込んだ瓦礫・ヘドロは均一に堆積したのではなくて、畑は40cm以上傾斜がついて、それを馴らすのも大変だった。」

「大震災のときは春作のきゅうりを植えつけていたが、全部津波で持っていかれた。ハウスを建て直すのにも金がかかる。新たに資材を購入するのにも金がかかる。周りではまだ誰も生産を再開しようとしていなかったが、お父さんはやると言ってきかなかった。」

「ハウス内の復旧作業はすべて2人だけで行った。ボランテイアは住宅地のほうには入るが、畑の復旧までには入ってくれない。とにかく自分たちだけでやるしかなかった。」

すべて自分で資金繰りして、生産を再開したとのこと。義援金とかは回ってこないのですか?と聞いたらまだ一切県からはもらえていないそうです。厚く積もったヘドロ層を掻き出して、平らに慣らした畑ですが、たっぷり海水を吸った土地は大量の塩分を含んだ土壌になっています。地下水も含め、この塩分濃度の高さがネックになり、非常に苦労していますが、さまざまな試みの上徐々に塩分濃度は低下してきています。また、ほかの作物に比べきゅうりは塩分濃度が多少高くても生育しやすいそうで、なんとか秋作に間に合ったそうです。逆に、海水のミネラル分・塩分も効いていてきゅうりの味もかえって良くなるみたいです。

9月の台風の影響で、せっかく育ったきゅうりのハウス内のベッドが水につかり1割程度減収になりそうですが、それでももうすぐ出荷という段階までこぎつけました。

国・県からの支援策・資金援助などまったく見えてこない状態ではありますが、他のきゅうり生産者も春作からの生産再開に向けてがんばっている途中です。山田さんのきゅうりが店頭に並んだら、是非積極的に買い支えていただきたいと思います。