産地研修(角田その3 番外編被災農家の現状)

投稿者: みのり  2011年10月3日(月曜日) 15時44分|めぐみ野交流, 未分類RSS 2.0


みのりです。角田から仙台への帰路での光景です。角田から亘理に向かいました。

亘理から阿武隈川を渡り、岩沼へ抜けましたが、阿武隈川を渡る前後の車窓からの風景。

 

 

 

写真ではわかりにくいと思いますが、以前は田園風景が延々と続いていた道です。津波が引いたあとも水が引かず、排水路・用水路も修復されず、また海水の塩分で耕作もできません。亘理・岩沼地区だけではありませんが、津波の影響で今年稲作の作付けが出来なかった面積は宮城県で実に5700ha(ヘクタール)、県の耕作面積の1割程度が作付けできませんでした。当然その分、宮城県の米の収量は昨年よりも減ります。大震災から半年以上も立ちますが、被災地の過酷な現状に言葉を失うのみです。

 

阿武隈川を渡って岩沼に入ってから、とあるめぐみ野(産直)レタスの生産者宅に立ち寄りました。

自宅・・・・・・とはいってもこの辺一帯は津波に飲み込まれ、母屋も作業場も流されてしまいました。自宅は取り壊し。避難所暮らしを2ヶ月の後、今は仮設住宅で暮らしているそうです。

岩沼のめぐみ野(産直)レタス生産者の平塚さんといいます。貴重な体験と現在の状況を語っていただきました。

震災当日はちょうどレタスにシートをかぶせる作業の真っ最中だったそうです。大きな揺れが来て、急いでアルバイトに来ていた人たちを帰して、自分はそのまま畑に残っていたそうです。しかし、警官の方が決死の覚悟で津波の危険を知らせにきてくれ、急いで近くの堤防の土手にかけあがったそうです。大きな揺れの1時間後、津波が自宅まで押し寄せてきました。1~2m程度だったようです。平塚さんは堤防の上から自分の畑、家が津波に飲み込まれていくのをただ呆然と見ているだけでした・・・・・・・・・・・。

左手の建物の真横に中央の小屋がありましたが、5m以上流されました。電線で繋がれていなかったらもっと遠くへ流されたでしょう。ちょうど渦だまりの状態になったようでいろんなものが散乱しています。

どこからか流れ着いた大金庫。(平塚さんのものではありません。)中身は何も入っていなかったそうですが。

これは震災前は一面レタス畑だった場所。草ははえ放題、50cmほど地盤沈下しているそうで、栽培を再開するためにはヘドロの除去、除塩(海水が入って塩分濃度が高くなった土壌の塩分を取り除く)だけでなく、土を足して平らにしたりなど震災前の状況に戻すには大変な手間がかかります。しかも農機具は水をかぶったり、流されたりで使い物になりません。家もなし、道具もなし、生産資材もなし、資金もなしの状態で、生産再開の意思があってもどうしようもない状況が続いています。

頼みの綱の国の支援策が未だにはっきりしていません。平塚さんは前を向いて歩いていくための「灯りがほしい」とおっしゃっていました。今の状態は先行きがまったく見えず、真っ暗闇で、どこへ向かって歩みを進めていけばわからない状態。これから営農を再開するための復興への道筋、ここへ向かって一歩一歩踏み出していこうという「灯り」がともされていません。前に進みたくても進めない。そんな被災農家がたくさんいます。地域農業の震災からの復興、営農再開へ向けての具体的な公的支援策の提示が一刻も早く求められます。

 

そんな中、ある民間支援団体から援助を頂き、現在岩塚さんはレタスの栽培を一部再開しています。(畑の除塩を行う資材・農法の実験として資材の提供を支援してもらい、栽培実験を行っています。)

先日の台風の影響で手前の部分の冠水がなかなか引かず、生育が弱いところがありますが、奥の方は順調に育っているようです。10月下旬には出荷できそうな見通しです。本格的な生産再開まではまだまだ険しい道のりですが、平塚さんの明るく前向きな姿勢に参加者のほうが逆に勇気付けられました。


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