「めぐみ野交流」カテゴリーの一覧

生産者支援募金贈呈式

2012年6月22日(金曜日)


3月から4月にかけて取り組みました「めぐみ野」生産者復興応援募金、実に400万2987円もの募金が集まりました。6月20日に産地へ募金を渡しに行ってきました。内訳は石巻のきゅうり生産者へ100万、志津川のかき生産者へ300万2987円です。

石巻の贈呈式の模様です。左からきゅうり生産者の鹿野さん、山田さん、JAいしのまきの松川専務、斉藤理事長、いちご生産者の千葉さんです。

4軒あったきゅうり生産者で、現在出荷を再開できているのは山田さんだけです。募金は塩水除染機・農機具に活用していただく予定です。

所変わって、志津川の贈呈式です。志津川漁協の佐々木委員長と地域代表理事の千葉さんです。

昨シーズンはめぐみ野かきを出荷することはできませんでしたが、今シーズン、秋からの出荷に向けてかきの身入りは最高の状態だそうです。

全国の生協からも支援の輪が拡がっています。コープ水産委員会からの寄せ書きも飾られていました。

募金はかき、わかめを入れるコンテナ(バンジュウ籠)やトラックの荷台部分に活用させていただきました。

漁協も津波で流され、プレハブの仮住まいです。港周辺は1メートル以上地盤沈下しており、埋め立てもできていません。満潮時は船も付けられず、干潮の合間を見て船を着けている状況だそうです。まだまだ大変な状態ですが、それでも復興に向かって力強く進んでいます。これからも継続した支援を続けていくことが重要です。


角田田植え体験交流会

2012年5月22日(火曜日)

みのりです。先日角田の田植え体験交流会(田んぼの学校)に参加してきました。

前日の雨から一転、風薫る快晴で絶好の田植え日和となりました。

上は司会進行の小野副会長、下は歓迎の挨拶を行いました只野会長です。

まずは参加者全員で手植えに挑戦。放射性物質対策で例年よりも田んぼを深く掘っており、ふくらはぎまで深く足が沈み込んでいきます。

子供たちも果敢に挑戦。農家の方の指導付き。都会の子にとっては貴重な体験です。

 

さすがに1町歩の面積を全部手植えはきついので、残り8割は機械で植えました。子供たちも田植え機に乗せてもらって大はしゃぎ。

 

やはり機械は早い。そして正確に等間隔で植えられております。(当たり前ですが。)

田植えの合間にザリガニ獲りも体験。夢中になってます。

無事田植えを終了してみんなで記念撮影。

お昼は公民館でめぐみ野米のおにぎりと婦人部の皆さんに作っていただいた豚汁、漬物をご馳走になりながら交流。挨拶しているのは赤坂副会長です。

最後はオプション企画でそば打ち体験もさせてもらいました。非常に楽しい一日を過ごさせてもらいました。

「めぐみ野」米は、JAみやぎ仙南(角田・丸森)・JAみどりの(田尻・涌谷)で取り組まれている、安全・安心を追求した環境保全米です。今年もおいしいお米を皆さんに届けられるよう順調に田植えも進んでいます。秋の新米を楽しみに,引き続きめぐみの米のご利用をお願いいたします。

 


我が家の味噌作り、野菜づくり

2012年5月7日(月曜日)

じゃがいもを切っています。調理教室でしょうか?

 

違いました。じゃがいもの芽のある部分を残しながら4つ位の大きさに切っていたのです。それをみんなで畑に植え付けました。

 

 

大崎市田尻に30家族112人が集まってじゃがいもを植えつけたり、かぼちゃの苗を植えつけました。今後、きゃべつなど7種類の野菜を作ることにしています。

ここでできた野菜は販売してお金にし、収益金を東日本大震災で被災して方たちへお届けする予定です。

 

田尻産直委員会の伊藤昭男会長は、今回の取組みを、田尻産直委員会、みやぎ生協、そして宮城県漁協志津川支所の「3組織の絆を少しでも広げる手助けになれば」と決意を新たにしています。

 

今後、田植えをしたり、大豆を播いたりして、秋にはその大豆を使って味噌作りをする予定です。

 

かぼちゃの苗を植えるのでしょうか。みんなで力を合わせてマルチ(ビニール)を敷いています。

 

去年は、震災の影響でこの取組みは行われなかったので2年ぶりとなります。

 

 


3日~4日の強風被害

2012年4月13日(金曜日)

こんにちは。げんさんです。

4月3日~4日に全国的に強風が吹きました。

日本海側の産地が大きな被害がありましたが、宮城県でもたいへん大きな被害となりました。栽培中のいちご、苗を植えつけて6月ころから出荷予定のトマトなどのビニールハウスもたいへんな被害となりました。

加えて、宮城県では4月14日・15日位が稲の種まきの中心になる頃ですが、稲の苗を育てるビニールハウスが壊されてしまっているのです。

今回は全国的な被害のため、ビニールハウスが不足して注文してもいつ入ってくるかわかりません。田植えに支障が無いことを祈っています。


志津川ボランテイア活動(2012.02.18)

2012年2月18日(土曜日)


めぐみ野かきの産地、南三陸町志津川は3.11東日本大震災及び大津波によって甚大な被害を受けました。いまだに復旧もままならない状況です。

共同購入部を中心としたみやぎ生協のボランテイア部隊も定期的に支援を続けていますが、全国の生協からも継続的な支援をいただいています。以前ご紹介した京都生協さん、大阪いずみ市民生協さんなど・・・・・・。

今回はコープしがさんが遠路はるばるボランテイアに来てくださいました。コープしがさんは昨年8月27日に職員と組合員でボランテイアに訪れています。その後組織的討議の中で(あるいはトップ判断で)、支部長・店長・チーフ等の所属長クラスがボランテイア活動に参加し、その体験を部下に伝えていこうと呼びかけ、今回12月~3月にかけて計4回に分けて正規職員300名のうち100名を派遣する計画を立てています。

 

昨年12月17日には職員の方々と西山理事長が参加しています。今年1月21日に続き今回2月18日は職員・お取引先様とともに白石専務が同行しました。3月17日にも別陣がボランテイアに駆けつけます。

ひときわ目立つオレンジ色のジャンバーに身を包んでいるのが白石専務です。今回は総勢31名。前日金曜夜に滋賀を出発、車中泊で本日土曜朝着、9時~15時まで土嚢詰めの作業をして、志津川のホテル観洋で1泊。翌日は南三陸町のボランテイアセンターに行き、指定されたボランテイア活動を行い(今回は公園清掃だそうです)日曜の夕方にこちらを出発、月曜明け方に滋賀着と非常に強行軍な日程です。8月27日の支援の際には0泊1日、京都生協さんも行っているいわゆる「弾丸ツアー」で車中泊で1日ボランテイアその後また車中泊で翌日朝戻るというパターンだったのですが、その場合車に乗っている時間の方が長く、ボランテイアに裂く時間が短い。職員教育も含めて夜しっかりと疲れを癒しながら活動を振り返る、2日かけてしっかりとボランテイア活動を行うという方針の下、2日間みっちりボランテイアというハードスケジュールになりました。ちなみに参加者はすべて休日を利用して手弁当で参加、バス代、宿泊代等は総代会を通して期末剰余金を活用して経営負担ということにしているそうです。

おなじみの遠藤部会長からのご挨拶。

土嚢詰め作業はまさにハードワーク。車中泊の疲れも見せず続々と土嚢が作られていきました。コープしがさんは共同購入中心の若い組織ということで皆さん元気はつらつです。

お昼には生産者の方からかき汁のお振る舞い。今日の朝海から獲ってきたばかりのかきと地元野菜で作りました。生産者の感謝のしるしです。

昨年6月に種付けしたものがすでに2年もの並みの大きさで、身がしまっていて、こくがあっておいしいかきに仕上がっています。しかし、水揚げしてもかき剥き場、処理場の建設が遅れており、出荷したくてもできない状況が続いています。めぐみ野かきの店舗へのお目見えは、非常に残念ながら来シーズンに持ち越しになりそうです。資材もまだまだ不足しています。志津川の生産者の資材購入という限定の目的での支援募金を2月21日からみやぎ生協で行います。是非ご協力下さい。

最後に今回駆けつけてくださったこーぷしがご一行様でパチリ。1日お疲れ様でした。ホテルで休んだ後、また明日もボランテイア活動です。本当にありがとうございました。

 

 

 


産地研修(石巻めぐみ野きゅうり復興編)

2011年10月17日(月曜日)

みのりです。

田尻の産地研修の後で石巻のめぐみ野きゅうり生産者のところに寄りました。

震災および津波の影響により甚大な被害を蒙った地域ですが、いまだ被災の爪痕は回復しておらず、復興といえる状況までには程遠い状態です。

石巻のめぐみ野きゅうり生産者は6軒いらっしゃいましたが、うち1軒が大震災後の津波に巻き込まれご家族3名が犠牲になられてしまいました。(謹んでお悔やみ申し上げます。)残り5軒も津波の影響を受け、ハウスの被害が激しく、生産再開がままならない状況です。

そんな中、いち早く秋作からの出荷の目処が立った山田さんのハウスにお邪魔しました。石巻市の門脇地区にありますが、この辺は1~2mの津波が押し寄せ、ハウスは全壊までいきませんでしたが骨組みが壊れ、海水・瓦礫がハウス内に流れ込み、水平だったハウス内の畑も40cmほどの傾斜がつきへドロ・瓦礫が積もってしまいました。

山田さんご夫妻にお話を伺いました。(ほとんど奥さんから聞いた話になりますが。)

「震災後は放心状態で何も考えることができなかった。ハウスの状況を見て、自分はもう駄目だな、と思っていたが、お父さんはすぐ生産を再開すると言って、復旧活動を始めた。自分はもう無理だと思っていたが、お父さんの強い決意に引っ張られてただついていっただけ。」

「ハウス内はもうめちゃくちゃな状態だったけど、奇跡的なことに機械が動いたのが幸いだった。トラクター、ユンボを使ってヘドロ、瓦礫を運んでハウス内を整理した。流れ込んだ瓦礫・ヘドロは均一に堆積したのではなくて、畑は40cm以上傾斜がついて、それを馴らすのも大変だった。」

「大震災のときは春作のきゅうりを植えつけていたが、全部津波で持っていかれた。ハウスを建て直すのにも金がかかる。新たに資材を購入するのにも金がかかる。周りではまだ誰も生産を再開しようとしていなかったが、お父さんはやると言ってきかなかった。」

「ハウス内の復旧作業はすべて2人だけで行った。ボランテイアは住宅地のほうには入るが、畑の復旧までには入ってくれない。とにかく自分たちだけでやるしかなかった。」

すべて自分で資金繰りして、生産を再開したとのこと。義援金とかは回ってこないのですか?と聞いたらまだ一切県からはもらえていないそうです。厚く積もったヘドロ層を掻き出して、平らに慣らした畑ですが、たっぷり海水を吸った土地は大量の塩分を含んだ土壌になっています。地下水も含め、この塩分濃度の高さがネックになり、非常に苦労していますが、さまざまな試みの上徐々に塩分濃度は低下してきています。また、ほかの作物に比べきゅうりは塩分濃度が多少高くても生育しやすいそうで、なんとか秋作に間に合ったそうです。逆に、海水のミネラル分・塩分も効いていてきゅうりの味もかえって良くなるみたいです。

9月の台風の影響で、せっかく育ったきゅうりのハウス内のベッドが水につかり1割程度減収になりそうですが、それでももうすぐ出荷という段階までこぎつけました。

国・県からの支援策・資金援助などまったく見えてこない状態ではありますが、他のきゅうり生産者も春作からの生産再開に向けてがんばっている途中です。山田さんのきゅうりが店頭に並んだら、是非積極的に買い支えていただきたいと思います。


志津川ボランティア

2011年10月15日(土曜日)

こんにちは、げんさんです。

1週間もたってしまいましたが、10月8日(土)に南三陸町志津川の漁業復興のボランティアに行って来ました。写真の黒いものは、養殖いかだに付けるおもりです。ひとつ60キロの重さです。これをたくさん付けないと、いかだが流されてしまいます。

この黄色いビブスの方たちは京都生協の方たちです。前日の夜8時に貸切バスで京都を出て、当日の夜7時に帰って行くという「弾丸ツアー」です。41名の方に来て頂きました。わが、みやぎ生協からも7名が先に志津川に付いてお迎えしました。

砂利を60キロ頑丈な土嚢袋に詰めて、おもりを作ります。この日は1200個出来ました。なんと72トンの砂利を袋に詰めたことになります。

漁師さんは、1200個はこの浜の人たちが全員で2日間かかる作業をしていただいたとたいへん喜んでいました。この、おもりは牡蠣ではなく、わかめの養殖に使います。津波でわかめの養殖いかだがすべて流出してしまいましたが、この分だと60%は回復できるとのことです。

これは銀鮭のいけすになります。

養殖施設などの目に見える物ができてくると、がぜん元気になってきたと生産者の皆さんは明るく語っていました。

このような頑張る生産者に資金の援助をするのが、国や県の役割です。水産特区は、宮城県議会の委員会で「反対」の採択がされました。民間資金を入れるのは、被災した当事者達がある程度の展望が見えるようになってからにしてほしいものです。


産地研修(田尻)

2011年10月14日(金曜日)


みのりです。

今年4回目の産地バス研修です。今回は田尻地区に向かいました。

 

今回お邪魔しましためぐみ野野菜生産者の武田典子さん。7月22日に植えたブロッコリーが収穫期を迎えていました。

露地栽培のブロッコリー、約2000本定植して、2週間程度かけて収穫しています。

共同購入、お店にお届けしています。

ハウスは5つあり、1ハウス80坪程度です。春菊、チンゲンサイ、小松菜、水菜などが順調に育っていました。
お店に並ぶのが楽しみです。
特別栽培(減農薬・減化学肥料栽培)の県認証圃場です。
手間隙かかりますが、安全・安心でおいしい野菜を日々作り続けていただいていました。
まだ稲刈りのされていない田んぼに寄りました。こちらはみやぎ生協の地域循環米(リサイクル米)の田んぼ。今回は農産担当者が研修に参加していますが、お店で出た野菜くずや魚・肉の端材などをリサイクルセンターで回収して堆肥にしています。その堆肥を使用した田んぼです。中央でお話いただいているのは田尻めぐみ野米部会の千葉さんです。
今年は震災の影響で水と電気が復旧するのが遅れ、田植えも例年に比べ10日ほど遅れたそうです。田尻の地域循環米は今年は24トン程度の集荷になりそうです。
米の集荷場にも寄りましたが、検査の真っ最中。めぐみ野米はこのようにシールを張られて明確に区別されています。もう新米はお食べになりましたか?安全宣言も出たみやぎ米、めぐみ野米をぜひよろしく。

10月6日 新米 発売

2011年10月6日(木曜日)

10月6日、みやぎ生協幸町店で新米発売イベントを行いました。生産者代表、みやぎ生協理事長、宮城県農林水産部次長、全農宮城県本部副本部長、パールライス宮城社長、幸町店利用のたくさんのメンバーの方が一緒に新米の発売を喜び合いました。そして、おいしい新米をたくさん食べてもらおうと生産者とメンバー、「レイシーレディー」が一緒になって試食推奨をしました。

今年は、東日本大震災があり、生産者は電気、水道が止まりガソリンが無いなかで苗作りの準備をしました。これからと言う時に、4月7日の震度6の余震が起き、また水が止まってしまいました。

津波で被害にあった地域の田んぼに代わって、お米を作ろうと予定外の苗を作り、田んぼを耕しました。めぐみ野(産直)生産者は、100ヘクタール近い追加の田んぼに稲を作りました。

稲刈り直前まで、原発事故の放射性物質汚染が心配でした。県の検査で、めぐみ野のお米を栽培している地域の米からは放射性物質が検出されず、宮城県の村井知事は安全宣言を行いました。

幸町店では、新米をたくさん買っていただこうと5キロと10キロ合わせて350袋を仕入れて、りっぱな売場を作りました。

袋も新しくなりました。

裏面には、日本の地域生協では初めて取得した「カーボンフットプリント」のマークを入れました。生協陣営の中では、日生協の次、日生協以外の生協で初めて取得した「カーボンフットプリント」です。

おいしくて、安全な「めぐみ野 ひとめぼれ」の新米をたくさん食べてくださいね。


産地研修(角田その3 番外編被災農家の現状)

2011年10月3日(月曜日)


みのりです。角田から仙台への帰路での光景です。角田から亘理に向かいました。

亘理から阿武隈川を渡り、岩沼へ抜けましたが、阿武隈川を渡る前後の車窓からの風景。

 

 

 

写真ではわかりにくいと思いますが、以前は田園風景が延々と続いていた道です。津波が引いたあとも水が引かず、排水路・用水路も修復されず、また海水の塩分で耕作もできません。亘理・岩沼地区だけではありませんが、津波の影響で今年稲作の作付けが出来なかった面積は宮城県で実に5700ha(ヘクタール)、県の耕作面積の1割程度が作付けできませんでした。当然その分、宮城県の米の収量は昨年よりも減ります。大震災から半年以上も立ちますが、被災地の過酷な現状に言葉を失うのみです。

 

阿武隈川を渡って岩沼に入ってから、とあるめぐみ野(産直)レタスの生産者宅に立ち寄りました。

自宅・・・・・・とはいってもこの辺一帯は津波に飲み込まれ、母屋も作業場も流されてしまいました。自宅は取り壊し。避難所暮らしを2ヶ月の後、今は仮設住宅で暮らしているそうです。

岩沼のめぐみ野(産直)レタス生産者の平塚さんといいます。貴重な体験と現在の状況を語っていただきました。

震災当日はちょうどレタスにシートをかぶせる作業の真っ最中だったそうです。大きな揺れが来て、急いでアルバイトに来ていた人たちを帰して、自分はそのまま畑に残っていたそうです。しかし、警官の方が決死の覚悟で津波の危険を知らせにきてくれ、急いで近くの堤防の土手にかけあがったそうです。大きな揺れの1時間後、津波が自宅まで押し寄せてきました。1~2m程度だったようです。平塚さんは堤防の上から自分の畑、家が津波に飲み込まれていくのをただ呆然と見ているだけでした・・・・・・・・・・・。

左手の建物の真横に中央の小屋がありましたが、5m以上流されました。電線で繋がれていなかったらもっと遠くへ流されたでしょう。ちょうど渦だまりの状態になったようでいろんなものが散乱しています。

どこからか流れ着いた大金庫。(平塚さんのものではありません。)中身は何も入っていなかったそうですが。

これは震災前は一面レタス畑だった場所。草ははえ放題、50cmほど地盤沈下しているそうで、栽培を再開するためにはヘドロの除去、除塩(海水が入って塩分濃度が高くなった土壌の塩分を取り除く)だけでなく、土を足して平らにしたりなど震災前の状況に戻すには大変な手間がかかります。しかも農機具は水をかぶったり、流されたりで使い物になりません。家もなし、道具もなし、生産資材もなし、資金もなしの状態で、生産再開の意思があってもどうしようもない状況が続いています。

頼みの綱の国の支援策が未だにはっきりしていません。平塚さんは前を向いて歩いていくための「灯りがほしい」とおっしゃっていました。今の状態は先行きがまったく見えず、真っ暗闇で、どこへ向かって歩みを進めていけばわからない状態。これから営農を再開するための復興への道筋、ここへ向かって一歩一歩踏み出していこうという「灯り」がともされていません。前に進みたくても進めない。そんな被災農家がたくさんいます。地域農業の震災からの復興、営農再開へ向けての具体的な公的支援策の提示が一刻も早く求められます。

 

そんな中、ある民間支援団体から援助を頂き、現在岩塚さんはレタスの栽培を一部再開しています。(畑の除塩を行う資材・農法の実験として資材の提供を支援してもらい、栽培実験を行っています。)

先日の台風の影響で手前の部分の冠水がなかなか引かず、生育が弱いところがありますが、奥の方は順調に育っているようです。10月下旬には出荷できそうな見通しです。本格的な生産再開まではまだまだ険しい道のりですが、平塚さんの明るく前向きな姿勢に参加者のほうが逆に勇気付けられました。